主にRTA配信をしている、ぷーれの記録や配信に関するリンクをまとめたページです。
any%RTA
0:34:41 (2020/05/04)
100%RTAリセなし
1:11:46 (2019/09/05)
100%RTAリセあり
1:08:57 (2019/11/24)
こばみ谷RTA
0:14:34 (2020/12/15)
フェイの最終問題RTA
0:52:16 (2017/03/10)
掛軸裏の洞窟エンドレス 肉禁止
1000F帰還 (2015/01/09)
掛軸裏の洞窟エンドレス 肉・使い捨ての盾禁止
259F死亡 (2017/12/08)
掛軸裏の洞窟エンドレス 肉・ワナの巻物禁止
459F死亡 (2019/06/08)
100%RTA
1:17:19 (2017/07/22)
any%RTA
0:44:35 (2020/12/15)
any%RTA
1:16:02 (2022/06/06)
手元をウェブカメラで映しています。また、コントローラと本体の間にArduino(マイコン)を接続して、入力表示もしています。基本的にはアマレコTVで録画しながらプレイし、記録が出たときは動画をフレーム単位で精査します。
純正コントローラー(SHVC-005)
↓
Arduino → PC
↓
スーパーファミコン(SHVC-001)
↓
SCARTケーブル:Super Nintendo NTSC Famicom SNES RGB SCART PACKAPUNCH PRO CABLE
↓
HDMI変換:Open Source Scan Converter (OSSC)
↓
キャプチャーデバイス:GV-USB3/HD
↓ ↓
PC モニタ
キャプチャーソフト:アマレコTV4 Live Ver4.11
タイマーソフト:LiveSplit v1.8.25
入力表示ソフト:RetroSpy Version 3.7.0.0
RTAは、結局のところ自己満足でしかない。
ゲーム内タイム(ゲーム内で表示されるタイム)を競うわけではないため、非常に曖昧なものである。それぞれのゲームにおけるRTAのルールとは、計測開始や終了のタイミング、バグの制限等を誰かが勝手に決めただけのものに過ぎない。あとから始めた人が、先人たちのタイムと「競う」ために、同じルールに則りやっているだけである。だから、たとえ同じゲームのRTAをするとしても、既存とは全く違うルールでやろうと本来は自由である。それを見てすごいと思う人がいるならそれはそれで良いはずだ。
しかし、ここまでRTAが賑わいを見せているのは、その競技性に理由があるのではないだろうか。他人とのタイムの競い合いこそが、プレイしている側、視聴する側をともに惹きつけているのだろう。ならば、公平な勝負を行うためにルールが統一されている必要があるはずだ。それにはプレイ環境も含まれてしかるべきである。つまり、ゲームをプレイする本体やコントローラだ。
同じゲームでも複数のハードにまたがってプレイできるものは多い。それらのゲームでは、実機や互換機、移植機の間で処理速度が大きく異なるものは珍しくない(例えばSFCとWiiのVC)。ゲーム機本体だけでなく、ゲームのROMも、バージョンによって処理速度や仕様の違いがあることも多い。コントローラについても、連射器がついているかどうかは大きな違いだ。
では、プレイ環境の統一をしようとなったとき、どうするのが一番よいだろう。万人が納得しやすいためには、シンプルであることが大切だ。そうすると、ゲーム発売当初の実機、ROM、および純正コントローラを使用、というのが一番公平で、わかりやすいのではないだろうか。とはいえ、発売当初のバージョンではRTAとして面白くなかったり、環境をそろえにくかったりする場合もある。原則は発売当初の環境として、バージョンによる差異が明確になっている場合や、特定のハードでのプレイが共通認識となっているものなどは、実情に合わせて統一すればよい。私が実機純コンにこだわっているのは、統一しやすい環境であることを意識しているからだ。少なくとも、特定のハードや特定のバージョンであることがわかるようにプレイを記録するべきだろう。
また、タイムの計測の仕方も、シンプルで明快であることが大切だと考える。手動でタイマースタート・ストップすることにより生まれるタイムのぶれは、(個人的には)RTAにおいては排除するべきものだ。私の場合、常にプレイをPCにて録画し、動画のフレーム単位でのタイム精査を行っている。先述の通りプレイ環境を統一し、さらに動画でタイム精査を行うことで、不純なものがない、単純明快なものとしての競技性が、そこにあるはずだ。
冒頭に書いた通り、現状、RTAというのはあくまで自己満足だ。RTAのおもしろさも人それぞれだ。私が、RTAの最大のおもしろさが他人との競い合いであると考えているだけで、そう思わない人にとっては大した問題ではないのだろう。しかし、これだけ認知度が高くなりプレイ人口が増えた今、RTAの在り方を考えるうえでこれらは避けて通れない議論だ。今後もRTAが人々を魅了するものであり続けるために、プレイする人々が環境の統一を意識することを願っている。